バレエの歴史 バレエ・リュス編 -6-

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1913年*、バレエ・リュスがディアギレフ抜きで南米を巡業している時に、ニジンスキーは突如ハンガリー人の女性と結婚します。それに怒ったディアギレフはニジンスキーを解雇します。彼の後を継ぐ振付家としてディアギレフが探し出したのがレオニード・マシーンでした。

同性愛者のニジンスキーが女性と結婚した理由は分からない。ただ、彼の手記を読むと自分を恋人ではなく商品のように扱うディアギレフに対する不満があったことが分かる。もしかしたら、彼への当てつけで結婚したのかも。

*海野敏(著)「バレエの世界史」では1916年となっているが、他の資料をあたると1913年の記述が多く、本ブログでは1913年としている。

レオニード・マシーン -発掘された人気ダンサー-

マシーンはモスクワに生まれ、ボリショイ・バレエ団で踊っていたところをディアギレフに見出されます。

1914年フォーキンの《ヨゼフ伝説》で主役を踊り、その魅力的な容姿でたちまちバレエ・リュスの人気ダンサーに昇りつめます。

マシーンはディアギレフの指導で振付家としての教育を受け、翌年には《夜の伝説》で振付家デビューをします。

彼の作品の特徴はコミカルで陽気なものが多く、スペイン舞踊のステップやスポーツの動き、サーカスの所作などを取り入れました。

代表作には喜劇バレエ《上機嫌なご夫人方》(17)や、パントマイムの元になったイタリアのコンメディア・デラルテを題材とし、ピカソが美術を担当したドタバタ喜劇《三角帽子》(19)、道化師を意味する《プルチネッラ》(20)などが大ヒットしました。

なかでも、マシーンの振付作品の中でも有名なのが、ジャン・コクトーが台本を書き、*エリック・サティが作曲、ピカソが美術を担当した《パラード》(17)です。

*フランスの作曲家。「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」の異名で知られる。《ジムノペディ》などの作品が有名。

サティの音楽にはタイプライターの打鍵音やラジオの雑音、サイレンの音などが用いられたよ。これはミュージック・コンクレートの先駆けと言われていて、今で言うサンプリング音を用いた楽曲のことだよ。

ピカソの衣装は当時大流行していたキュビズム的なデザインで、ダンサーの体をすっぽりと覆うものでした。初演時には「絵画と舞踊と台本と音楽の完璧な結婚」と称賛されましたが、一方で良識への挑戦だと非難されることもありました。

《パラード》とはパレードのこと。筋書きは見世物小屋の出演者たちがテントの前で芸を披露し、3人のマネージャーが客を呼び込むという内容。ニジンスキーよりずっと軽い内容だね。

レオニード・マシーン(1896-1979)
ピカソがデザインした《パラード》の衣装。
Jean-Pierre Dalbéra from Paris, France – Costumes du ballet Parade (Les Ballets russes, Opéra), CC 表示 2.0,
こちらは当時の写真。このブログでも何回か登場している。

まとめ

ニジンスキーの結婚スキャンダルにより、急遽白羽の矢が当たったマシーンですが、バレエ・リュス参加当初はディアギレフの恋人でした。なにかドロドロとした恋愛関係のもつれを感じますが、ディアギレフとマシーンの関係も長続きしません。1921年、マシーンがバレエ団の女性ダンサーと付き合っていることが発覚し、ニジンスキーと同じようにマシーンは解雇されてしまいます。

ディアギレフの才能を見出す慧眼とパワハラぶりはどうしても今話題のジャニーズ問題を連想しちゃう。

そしてマシーンの解雇後、そのあとを継いだのはニジンスキーの2歳下の妹、プロニスラヴァ・ニジンスカでした。

つづきをお楽しみに!

 


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