バレエの歴史 バレエ・リュス編 -12-

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今日まで11回に渡ってお届けしてきたバレエ・リュス編も今回が最後となります。

元はディアギレフがペテルブルク帝室劇場の方針に反発し、ロシアを出て結成されたバレエ・リュス。そのロシアは1917年のロシア革命を経てソビエト連邦へと変わりました。バレエ・リュスが海外で活躍する一で、ソビエトでのバレエがどうなっていたのかをご紹介します。

ソ連のバレエ

ロシア革命で一時は存続の危機に立たされたソビエトのバレエは、ロシア帝政期に貴族向けに作られていた内容をソビエトの思想を強化する方向に変更することで国家が庇護する芸術であり続けました。

フランス革命で存続の危機に立たされたバレエと同じような状況がロシア革命でも起きたんだ。この辺りの経緯はユキ・フジモトさんのブログに詳しく書いてあるよ。

ペテルブルクのマリインスキー劇場とモスクワのボリショイ劇場は国立となり、前者はのちにキーロフ記念レニングラード・バレエ劇場となります。

国家的に誇れる文化をソ連政府のもとで作るために、貴族的な匂いの少ない抽象芸術を奨励したり、バレエを「社会主義リアリズム」に則った創作手法にして保護・支援しました。

社会主義リアリズムとは、社会の現実や歴史、労働者の生活を写実的に描くことで、社会主義の正しさを伝えることを意図した手法だよ。

以下、代表的な振付家3名をご紹介します。

社会主義リアリズムで描かれたイラスト
“WE WILL FULFILL THE PARTY’S COMMISSION!” by Igor Berezovsky, 1957
ソ連のバレエを支えた三人の振付家
フョードル・ロプホーフ(1886-1973)
By Mariinsky Theatre – Original publication: , Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=57266673

フョードル・ロプホーフはペテルブルク生まれの帝室バレエ団のダンサーで、社会主義リアリズムを意識した実験的な振付作品を手がけています。

ベートーベンの交響曲を用いた《舞踊交響楽》(23)は抽象主義的なバレエで、バランシンが出演しています。作曲家シュスタコーヴィチ*と共作の、工場を舞台に怠惰なブルジョワを描いた《ボルト》(31)、コルホーズ(集団農場)を舞台にブルジョワ的恋愛遊戯を批判的に描いた《明るい小川》(35)などを手掛けました。

ところが《明るい小川》はソ連共産党から批判され、ロプホーフとシュスタコーヴィチは政治的な弾圧を受けることになります。

*ドミートリイ・ショスタコーヴィチは、20世紀に活躍したソビエト連邦の作曲家。交響曲や映画音楽の制作でも知られている

ワシリー・ワイノーネンもペテルブルク生まれで、キーロフ・バレエ団のダンサーとして活躍していました。資本主義国の博覧会にソ連のサッカークラブが招かれ、彼らが現地の労働者と共にファシストと戦う《黄金時代》(30)が初期の代表作です。続いてフランス革命における義勇軍の活躍を描いた《パリの炎》(32)が成功を収めます。また、初演時は批評家から不評だった《くるみ割り人形》(34)を改訂し、現在もワイノーネン版の演出・振付をベースにした《くるみ割り人形》が世界中のバレエ団で上演されています。

ワイノーネン版《くるみ割り人形》の一番大きな変更点は主人公の少女クララ(=マーシャ)を大人のダンサーが演じること。これにより、幼い少女が夢の中で大人の女性に成長を遂げるというテーマが生まれ、踊りもより見応えのある高度な内容を入れられるようになったんだ。

レオニード・ラヴロフスキーもワイノーネンと同じく、ペテルブルク生まれ、キーロフ・バレエ団のダンサーで、最も成功した作品は、プロコフィエフ作曲の音楽に振付けた《ロミオとジュリエット》(40)です。

このバレエは、社会主義リアリズムの枠を越えて、バレエの演劇的表現力を深めた演出・振付として評価されています。

アグリッピナ・ワガノワ -ロシアバレエを体系化したバレエ教師-
アグリッピナ・ワガノワ(1879-1951)

この時代のロシア・バレエを語る上で、アグリッピナ・ワガノワというペテルブルク生まれのバレエ教師の存在を忘れることはできません。

ワガノワの厳格な教授法は、国家からの支援を受けてソビエト全土に広まります。1957年、ペテルブルク(当時はレニングラードと呼称)の国立バレエ学校は、彼女の栄誉を称えて「ワガノワ・バレエ・アカデミー」と改称しました。

プティパによってもたらされたフランスのロマン主義的な踊りと、バレエ・リュスの有名ダンサーを輩出したイタリアの名バレエ教師チェケッティによる技術理論を融合させた非常に優れたその教授法は、「ワガノワ・メソッド」と呼ばれ、現在も日本を含む世界各国のバレエ教室で取り入れられています。

まとめ

バレエの歴史シリーズの参考文献とさせていただいてる海野敏(著)「バレエの世界史」では、ソビエトのあとに日本への影響についての章があるのですが、過去の僕のブログでも紹介しているので、興味をお持ちの方はそちらをご覧いただくか、「バレエの世界史」を読んでみてください。

さて、いよいよバレエの歴史シリーズ、バレエ・リュス編が完結しました。ここまでお付き合いいただき、有難うございます。バレエの歴史も20世紀後半になると世界中に広がり、ますます情報量が増して全体を把握するのが難しくなってきます。

一方で、今でも人気のある振付家の名前が続々と登場して、現在へのつながりを感じられる時代でもありますので、これからは地域ごとに区切って紹介をしていこうと思います。

次章の準備には少し時間がかかるかもしれませんが、楽しみに待っていてください!

 


最後までお読みいただき、有難うございます!

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