バレエの歴史 バレエ・リュス編 -8-

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今日はバレエ・リュス最後の振付家、ジョージ・バランシンをご紹介します。

なぜ最後かと言うと、1929年にディアギレフが急逝し、バレエ・リュス自体が活動を休止してしまうからです。

ジョージ・バランシン -バレエ・リュス最後の振付家-

ジョージ・バランシン(1904-1983)
《ミューズを導くアポロ》(1928)

ジョージ・バランシンはジョージア(グルジア)人の作曲家を父として当時のロシアの首都ペテルブルクで生まれます。ペテルブルクの舞踊学校で学んでいる間にロシア革命が起こり、帝政ロシアが崩壊します。

その後、国立オペラ・バレエ劇場(GATOB)と改称した元帝室バレエ団に入団して、自らの作品を発表しつづけますが、その革新的な振付は保守的な劇場幹部には受け入れられませんでした。

1924年、みずからの一座を連れてロシアを出国し、ヨーロッパを巡業します。*ドイツ巡業中にディアギレフに出会ってバレエ・リュスに参加します。

*ディアギレフとはロンドンで出会ったと言う説もあるが、本ブログでは海野敏(著)「バレエの世界史」に従った。

バレエ・リュスに入るまではロシア語の本名「ゲオルギー・バランチヴァーゼ」を名乗っていたけど、バレエ・リュス参加後は英語読みの「ジョージ・バランシン」を名乗るようになったよ。

バランシンの振付は、二ジンスカ以上にダンス・デコールを尊重したものでした。バレエ・リュスでの代表作はストラヴィンスキーが音楽を担当し、太陽神アポロが3人の女神とやりとりする筋立ての《ミューズを導くアポロ》(28)と新約聖書のたとえ話をもとにした《放蕩息子》(29)で、プロコフィエフが音楽、ルオーが美術を担当しています。

セルゲイ・プロコフィエフはロシアを代表する作曲家・ピアニストだよ。代表曲『ロミオとジュリエット』モンターギュ家とキャピレット家の01:14あたりを聴けば、誰もが知っているはず。フランスの画家ジョルジュ・ルオーはもとステンドグラス職人の画家で、宗教的主題や社会の底辺にいた人々を題材にした作品をたくさん残しているよ。

バランシンはバレエ・リュス時代より、むしろ後年に確立した「プロットレス・バレエ」と呼ばれる振付が有名で、ストーリーや背景を持たない抽象的なバレエで、音楽と踊りの関係を純粋に表現するのが特徴的でした。

まとめ

《放蕩息子》の初演から3ヶ月後の1929年8月19日、ヴェネツィアで闘病中のディアギレフが糖尿病の悪化で急逝し、バレエ・リュスの活動は突然幕を閉じます。さらに約2週間後の9月4日にはニューヨークの株価暴落を発端として世界恐慌がはじまります

ディアギレフの死去により活動を停止したバレエ・リュスですが、その後、第2次世界大戦の勃発もあり、バレエ・リュスで活躍した振付家やダンサーは世界中に散り散りになり、20世紀のバレエの礎を築くことになります。

バランシンも、バレエ・リュスの後継であるバレエ・リュス・モンテカルロの旗揚げに参加したり、アメリカでバレエ団を設立するため渡米するなど世界各国に活躍の場を広め「20世紀のバレエに最も影響を与えた振付家」と評されることになります。

と言うわけで、次回からはバレエ・リュスがその後のバレエに与えた影響についてご紹介していきます。

 


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