熟達論 -観-

ライムライトの仕事部屋
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これまで、音声配信ブログで2回紹介してきた、元オリンピック陸上選手の為末大さんの著作『熟達論』。バレエに限らず、あらゆる分野につながる「熟達」に至る方法を論じた名著です。

熟達に至る過程を遊、型、観、心、空の順に分けて紹介されている著書の中から、今回は「」についてご紹介します。

今回はほんのさわりだけ紹介するので、興味をお持ちの方は是非、本を購入してね!

「見る」とは「分ける」こと

「型」を手に入れると最も基本的な動きが無意識で行えるようになり、別のことに注意が向けられるようになります。

余裕を持って自分の動きを見て行くと、今までよりも詳細で立体的な世界が見えてきます。これが「観」の入り口です。この入り口に立つには型の練習、つまり量が必要です。量が増えて閾値を超えると、漠然としたまとまりだったものが分かれて見えるようになるそうです。

これにはアメリカに語学留学をした僕の経験にも重なることがあります。外国語の学び始めは、ほとんどの会話は音楽フレーズのようにしか感じられません。ところが、自分の中に単語や文法の知識が一定量蓄えられてくると、いくつかの単語を切り取って意味が捉えらるようになり、その単語から前後の文脈を推測して相手が言っていることが分かり始めるのです。

僕の場合、この変化は蓄積量に応じて徐々に起きたのではなく、留学して3ヶ月目くらいに「あれ、なんとなく言っていることが分かるかも。」と突如訪れました。

量が閾値を越えた結果、リスニングの質が変化したのです。

「集中」と「俯瞰」2つの視点

観察力のある人は気づくのが上手いです。対象との距離を自在にずらしながらあれこれと視点を動かすことができるからです。

これは運動に限らず、会話にも通じるね。お笑い芸人は視点をずらすことで

笑いを生んだり、ツッコンだりしている。

観察の精度を上げるには、「集中」と「俯瞰」の2つの視点を使い分ける必要があります。

「熟達論」では集中について詳しく解説されていますが、僕なりにまとめると、集中とは意識を一点に固定し、かつその対象や度合いを自由に変えられる状態です。

意識を一点に固定できれば、その他の雑音は一切入らなくなります。集中力が上がると自分の足の裏の動きや、雑音の中のたったひとつの音、時には空間にも注意を向け続けることができるようになります。

集中することはそこに力点を置くことです。何かに集中すると全身がそちらに向かざるを得ないので、走る際も5メートル先に意識を向けるのと30メートル先に意識を向けるのでは、動きが異なります。

ただ、部分に分けて意識を集中する際に注意が必要なのは、全体を見失う可能性があることです。

逆に俯瞰は対象を部分ではなく、全体として捉えることです。格闘家は初歩の段階では対峙する相手の動きをつぶさに観察するので焦点が激しく動きますが、上級者になると押さえておくべき数点だけを行き来するようになり、最終的にはぼんやりと眺めるようになるそうです。その結果、部分に囚われるよりも素早く相手の動きに反応することができるようになります。

また、「見る」という行為は視覚だけに留まりません。

卓球選手は耳栓をして試合をすると、球がうまく捉えられないそうです。それは視覚情報だけでなく、相手選手が球を打つ音や、地面を蹴る音もプレイに生かしているからです。ここで重要なのは、五感全体で捉えることです。

集中と俯瞰を繰り返す中で陥りがちな「イップス」

俯瞰した視線で自らを客観的にとらえ、注意するべきに所に意識を集中する行為を繰り返す中で、陥りがちなのが「イップス」という症状です。これは普段は無意識に動かしている自然な動きのある一部に意識を過度に集中させてしまった結果、動きがぎこちなくなり、何が自然なことか分からなくなってしまう状況です。

為末さんの場合は足首の動きによって足音が変わるので、足音が気になり、ついには一歩も動くことができなくなったことがあるそうです。

距離のとり方と時間の濃淡

そのような状態に陥らないためには、距離の取り方と集中する時間の濃淡が鍵になります。

人は一つのことに長く取り組んでいくと、どうしても視野が狭くなります。スポーツでは怪我などで一定期間競技から離れたアスリートが、復帰すると以前よりも良いパフォーマンスをすることが少なくないそうです。

その理由のひとつは、距離ができることで重要な点だけをシンプルに捉えられるからだと言われています。さらに、客観的な視点を得るには「遊」の段階で一つの領域に特化せず、色々な経験をすることも重要です。

また、前述の通り「型」の習得には量が必要なのですが、一つのことに時間をかけても、それ以上成長しなくなることがあるそうです。そこから先はただ繰り返すのではなく、濃い時間の経験が重要です。

陸上のトレーニングでは10秒20で何度も走れても、9秒台で走れるとは限りません。そこで重要なのは10秒00で走れるたった1回の経験です。もちろん、そのためには十分な体調や環境を整えなければなりません。

それでも、たった1回の濃い時間が重要になるのは、人間が一度体験したことは再現できるという性質を持っているからです。

まとめ

「観」の力が身につくと、部分と全体との関係性がつかめ、構造がわかるようになります。

「できる」だけなら、必ずしも構造を把握する必要はありません。才能のある選手は理屈ではなく感覚的に捉えて、やろうと思ったことができますが、この選手が何らかの理由で不調に陥った時、つまり自分の感覚と身体の動きがうまく連動しなくなった場合、構造が理解できていないと元に戻すことができません。

また「わかる」必要は他者に説明するためにも必要です。構造について分からない人がコーチになると、できるのだが説明はできない状態になります。

これが名選手が名コーチになるとは限らない理由だね。

さて、丸呑みしていた「型」は「観」によって関係性や構造が理解できるようになりました。これをさらに発展させて自在に操れるようになるのが次の「心」のステップです。

 


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