自分語りをやめてローカルを革新したらグローバルになった

ライムライトの仕事部屋
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今日は僕が最近感じたことをみなさんに共有しようと思います。

最初に書いておきますが、今日は内容に一部過激な描写があるので、そう言った内容を読みたくない人は今日の記事はパスしてください。

じつは最近、現代美術家の会田誠さんが書いた「性と芸術」と言う本を読んでいます。その中で僕がバレエに感じていることと通じる部分があったのでその話をしたいと思います。

本の内容は世間で物議を醸し出した「犬」という初期作品が作られた経緯を説明しているので

過激な描写に耐性のない方は閲覧注意!

ローカルを革新したらグローバルにつながった

会田誠さんは僕が説明するまでもなく、今日本で一番有名な現代美術家の一人です。ためしにChat GPTに会田誠についての説明を求めたら、こんな回答が返ってきました。

会田誠は、1965年新潟県生まれの現代美術家で、ミヅマアートギャラリー所属。性的でインパクト抜群な作風で知られ、賛否両論を呼ぶ。彼の作品は日本画に影響を受けつつ、人によっては目を背けたくなるほどの強烈さがあります。

会田さんの著作は過激な美術作品からは想像がつかないような柔和な人柄がよく出ていて、美術学生時代の思い出を小説にした「げいさい」は僕のお気に入りのひとつです。

美術の才能と文才、天はこの人に一物も二物も与えているなーと思う。

今回の著作は彼の初期作「犬」がどのような経緯で作られたのかが書かれていて、必然的に美術家としてかけ出しの頃の心境についても触れています。

会田さんは東京藝術大学の油絵科に入学しますが、学生運動あがりの「リベラル」な教授陣が求める優等生的抽象画にも、それを斜に構える「反抗的でシニカルな美大生」たちにも上手く馴染めません。

そこで注目したのがこれまで関心がなかった「日本画」です。安土桃山時代の絵師狩野永徳「檜図屏風」を見て、檜の太い幹を描く大胆なタッチと、針葉の一本一本を丁寧に細かく描いたコントラストに、「主題」の強調と「細部」の強調という、本来は相容れない描法が一枚の絵の中に存在していることに衝撃を覚えます。

狩野永徳「檜図屏風(ひのきずびょうぶ)」(1590年頃)

一方で、これまで日本画個展に行って日本画の素晴らしさに気がつかなかったのは、カタチばかりを追って、日本画の本質を捉えてこなかった「現代日本画のていたらく」だと断罪します。

「自分語り」をやめた

もう一点、自意識が非常に高まる青春期において、自身の哲学的、内面的世界を描くのか、それとも現代社会を描くべきなのか、彼は決断をします。

「もし私がこの世にいなくても、やはりこの世はほぼ変わらずあり、社会は動き続けているだろう」と考えること。自分の内面の実感を棚上げし、自分の外にある、いわゆる「社会通念」の方を信じること。(中略)すなわち、このような20世紀の人類の現実を前に、逃げずに「がっぷり四つ」で対峙することーそれが私の「ポップ・アート」の定義である。
会田誠(著)「性と芸術」

そして1989年という現代を描こうとしたときにたどり着いたのが「ロリコン」でした。戦後徹底的に弱体化された「男性性」や「父性」。その中から立ち上がり、今や完全に市民権を得たオタクカルチャーの萌芽が1989年にありました。

威厳に満ちた父親からの影響が良かれ悪かれゼロに近くなった家庭の息子・娘たちはどのような精神世界に生きていくことになるか。それが、いかに激しいバトルをしても本物の血は流れない、いかに男女が激しく愛し合ってもリアルな体臭はしない、人工的な色彩に満ちた、フラットな絵柄の、ファンタジー・ワールドだったのではないか?
会田誠(著)「性と芸術」

そして完成したのが日本画とロリコンという、本来相容れない要素を一つの絵の中にまとめた「犬」でした。詳述はしませんが、この絵画には少女に対する残忍な描写が含まれていて、それが社会から非常なバッシングを浴びることになります。

しかし、「犬」が制作された1989年、現実社会でさらに残虐な事件が発生します。それが宮崎勤による「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」です。

残虐だったのは「犬」という作品ではありません。本当に残虐だったのは絵画が照射した現代社会の方だったのです。

まとめ

会田さんは学生時代、具象から抽象に行くことが「グローバル」な流れとして学内で評価されていたにも関わらず、「ローカル」である日本の現代社会に着目して、油絵と日本画を組み合わせて具象絵画を描いたことが、結果的に現在の世界的な評価につながっていきました。

学生時代の彼にとって日本画は自分とは関わりのない、外側の絵画でした。日本画の外側にいたことで、大胆なアプローチをとることができたとも言えます。

会田さんはご自身で作品をつくる「プレイヤー」ですが、僕はバレエの「プレイヤー」ではありません。それでも、外側からの視線でバレエを考えています。実際にやれることは大したことではないかもしれませんが、今は視点を広く持って、様々な課題を吟味する時期だと思っています。

そんな僕が外側からバレエを眺めた時、バレエもまたグローバル化を目指すあまり、日本人が踊るという身体性・精神性を忘れてはいないでしょうか?

これは必ずしも山海塾のような日本独自の踊りを目指すということではなく、バレエが本当の意味でローカライズされるとはどう言うことなのか、日本社会の高齢化や、競合する舞台表現も含めて、改めて考えてみる必要があるのではないか、僕の宿題になっているということです。

きっと、このような問題意識はすでにバレエの内側で活躍している人たちの中にも生まれているはずです。そう言った問題意識を共有できるコミュニティを作ることが、僕がこのブログをはじめた理由です。

 


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