バレエの歴史 18世紀フランス編 -2-

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17世紀末のおさらいになりますが、フランスには日常を描いた軽妙なコメディ・バレエとギリシヤ・ローマ神話などを題材にした重厚なオペラのトラジュディ・リリックという二つの流れがあって、それが合体する形で、オペラ・バレエが生まれたとご紹介しました。

オペラ・バレエの特徴についてはすでに紹介しましたが、扱っている主題に異国情緒ものが多い、という特徴が付け加えられます。

これは軽妙なロココ様式にマッチしていたというだけじゃなく、当時フランスが海外に侵略戦争をしまくっていたこととも無関係じゃないんだ。

異国情緒漂うオペラ・バレエ

ラ・フォンテーヌ嬢が活躍した「愛の勝利」を先駆的なオペラ・バレエとして紹介しましたが、本格的にその様式を確立したと言われているのが「優雅なヨーロッパ」(1697)です。アンドレ・カンプラ作曲、ギョーム=ルイ・ぺクール振付でフランス、スペイン、イタリア、トルコと4つの国の物語を歌と踊りで表現するものでした。

アンドレ・カンプラ
ジャン=フィリップ・ラモー

カンプラはリュリの次の世代の音楽家だよ。ぺクールはポーシャンのお弟子さん。カンプラとぺクールのタッグで、たくさんのオペラ・バレエやトラジュディ・リリックを作っているよ。

リュリ、カンプラを引き継いだのがジャン=フィリップ・ラモーです。活躍した期間はロココ期にあたりますが、フランス・バロックを代表する作曲家で、初めて長調・単調の概念を体型的に論じ、和音や和声の基礎を確立した人です。

と言われてもチンプンカンプンなそこのあなた。
簡単に言うと長調は明るい曲、単調は暗い曲、和音は二つ以上の音を同時に出した時に気持ちよく聴こえる音のことだよ。

ラモーが作曲したオペラ・バレエ「優雅なインドの国々」も、4つの場面は「寛大なトルコ人」「ペルーのインカ人」「花々」(ペルシア)「未開人」(アメリカ)と異国情緒豊かで、それぞれの場面には船の難破や火山の噴火など、派手な見せ場がありました。

ちなみに題名の「インド」は国名ではなく、遠い異国を総称する言葉なんだ。20世紀に入ってからもパリ・オペラ座で復刻されるほどのヒット作なんだけど、遠方への憧れと民族差別的な意識が場面タイトルにも色濃く残っているね。

4人のスターダンサーたち

ダンサーが専門化したことにより、バレエの花形となるスターダンサーたちも生まれました。ここでは第1世代と第2世代のスターダンサーを二人ずつ紹介します。

11人の恋人を演じ分ける演技派
フランソワーズ・プレヴォー【第1世代】

プレヴォーは18世紀初め30年間に渡りパリ・オペラ座のプリマ・バレリーナ(最高位のダンサー)を演じ続けました。1715年の「舞踊の登場人物たち」と言うソロ作品では、その巧みな演技力で11人の恋する人物を一人で演じ分けました。

初代「舞踊の神」
ルイ・デュプレ【第1世代】

デュプレは18世紀初めの50年間パリ・オペラ座で踊り続け、美しく恵まれた体格、優雅で調和のある踊り、幅広い演技力で「舞踊の神」と呼ばれた男性ダンサーです。アクロバティックな動きや誇張した演技より、アカデミックな様式に従った正確な動きと姿勢を重視し、引退後は優れたバレエ教育者になりました。

フランソワーズ・プレヴォー
Mademoiselle Prévost as a bacchanteMademoiselle Prévost as a bacchante
マリー・カマルゴ 
卓越した技術を持つ人気スター
マリー・カマルゴ【第2世代】

カマルゴは男性のものと思われていた難しい跳躍テクニックを女性で初めて披露して、女性ダンサーの技術水準を高めました。彼女の魅力的な踊りは観客を熱狂させ、彼女の恋愛やファッション、ヘアスタイル、料理などがゴシップ記事になるほどの人気ぶりでした。

カマルゴの師匠はプレヴォーだったんだけど、彼女との関係はあまり良くなかったみたい。
動きやすいよう踵のない靴を履いてスカートの丈を短くめくって踊るカマルゴが下品に映ったのかもしれない。でも、彼女のおかげでバレエシューズの原型ができたんだ。

マリー・サレ
カマルゴのライバルにして啓蒙思想家たちのアイドル
マリー・サレ【第2世代】

サレは次回紹介するパントマイム・バレエの先駆的存在で、貧しい旅芸人の生まれながら幼少の頃からダンスと演技を学び、パリでプレヴォーに師事し、14歳の時に彼女の代役でパリ・オペラ座デビューを果たします。カマルゴと人気を二分し、技巧派のカマルゴに対して、サレは感情表現が巧みで、プレヴォーの演技力と、もう一人の師匠であるデュプレの姿勢の優美さを継承しています。

パリ・オペラ座の内紛でサレが一時ロンドンに行った際は、ヴォルテールが渡英を嘆く手紙を知人に書いたり、モンテスキューがサレのためにロンドンの有力者へ紹介状を書いたり、庶民派出身のサレは、啓蒙思想家たちのアイドルだったんだ。

まとめ

はい、今日はこれでおしまいです。

明日はフランス革命が勃発する、18世紀後半に突入します。

 


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