バレエの歴史 15世紀イタリア編 -1-

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バレエの源流をたどると、15世紀のイタリアにたどり着きます。15世紀のイタリアといえば、ヨーロッパの文化と経済の中心地でした。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが活躍するルネサンスがまっ盛りです。

当時のイタリア半島は名目上神聖ローマ帝国の傘下にありましたが、ヴェネチアやジェノヴァ、ミラノ、フィレンツェなど実質的には独立した自治権を持つ都市国家が大きな力を持っていました。

各都市国家にはルネサンス期のバレエを庇護したスフォルツァ家や、フィレンツェで金融業を成功させ、多くの芸術家を庇護したメディチ家など、歴史の教科書に出てくるような有名な都市貴族がいました。

11世紀から続いた十字軍の遠征が失敗し、カトリック教会の力が失われるとともに、港湾都市を中心とした東方貿易が活発化し、神よりも人、人間そのものの美しさや価値を回復する「人文主義」(ヒューマニズム)の考え方がルネサンスの基本精神となっていました。

バレエは、そのような時代背景の中から、都市貴族が楽しむ余興としてはじまりました。

15世紀のイタリア (CC 表示-継承 3.0,)

余興って忘年会とか結婚披露宴でやる、アレ?

日本の余興のイメージとはだいぶスケールが異なります。詩の朗読、歌唱、仮面劇、演奏、舞踏会などのプログラムと豪華な料理。特設の舞台が宮廷に設置されて、数日間続くこともあったそうです。

ラファエロ・サンティ『アテナイの学堂』(1509-1510)

かつての自治都市国家であるギリシアのプラトンに学び、現実の世界とは異なる理想郷「イデア」を視覚化するための非常に祝祭的、儀礼的な催しでした。

ラファエロの「アテナイの学堂」はダビンチやミケランジェロ、そしてラファエロ本人も含む、有名芸術家がギリシヤ時代の哲学者たちに扮した一大コスプレ絵画。

また、都市貴族にとってこの余興は重要な社交術、政治的行為であり、政略結婚の祝いや他国からの客人に向けた権威の誇示、市民へのアトラクションといった意味あいもありました。

イタリアがバレエの元祖とする3つの理由

海野 敏さんの著作「バレエの世界史 美を追求する舞踊の600年」では、イタリアをバレエの元祖とする根拠を3つあげています。

  1. 「バレエ」の語源
  2. 舞踊理論の体系化
  3. ルネサンスとともに北方へ伝わる

「バレエ」の語源

当時の都市貴族が楽しんだ踊りには、「バッサダンツァ」と「バッロ」のふたつがあり、バッサダンツァは男女のペアが音楽のリズムに合わせて手を合わせたり、腕を組んだりしながら対照的な動きをするもので、重心は低く、足を滑らせるように踊るものでした。

貴族らしい優雅な所作が好まれたのかな。優雅な曲にあわせて踊るフォークダンスみたいなイメージ。

バッサダンツァ

一方でバッロはもっと複雑で、高さのある動きや、ジャンプも用いられました。また、音楽のテンポもさまざまで、リズムやテンポの異なる数種類の踊りを組み合わせて構成されていました。

バッサダンツァもバッロの踊りの構成要素のひとつとして取り込まれていたみたい。

この「バッロ」はイタリア語の「バラーレ」(踊る)の名詞形です。この「バッロ」から「バレッロ」(小さなバッロ)と言うことばが作られ、それがフランスへ伝わって「バレエ」となったそうです。

まとめ

はい、本日はここまでです。15世紀イタリア編をまとめたチャートを載せておきます。

次回はイタリアがバレエの発祥であるのこりふたつの根拠と、ルネサンスが産んだ大天才、レオナルド・ダ・ヴィンチとバッロの関わりについてご紹介します。

 


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