音と音楽、自然と踊り -2-

ライムライトの仕事部屋
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前回は坂本龍一さんが晩年にたどり着いた音楽感と祖父の芸術感の共通点をご紹介しました。

今回はもう少し話を掘り下げて、生命現象と音楽の共通点について考えていこうと思います。

前回、福岡伸一さんが考える生命現象について、生命を生命たらしめているものを動的平衡と呼んで、生命は川のように変化し続ける流れの中にある、「よどみ」のようなものだと説明しました。

一方で「死」については川が上流から下流に流れるような、絶対的なエネルギーの流れ(エントロピー増大の法則)として説明しています。

早かれ、遅かれ、すべての生物体に寿命が来ます。それはエントロピー増大の法則に対して抗し続けてきた動的平衡が、ついにはエントロピー増大の法則に凌駕されてしまう瞬間のことですが、それは敗退ではなく、ある種の贈与です。つまりそれまで自分の生命体が占有してきた空間・時間・リソースといったニッチを誰か他の若い生物に手渡すということです。

福岡伸一「音楽と生命」より

このような死から新しい生への贈与が繰り返される循環を生命現象としてとらえていて、自然の摂理によって迎えられた死は、悲しむべきことというよりも寿(ことほ)ぐべきことであり、日本語の寿命(じゅみょう)という言い方にも通じて来ると述べています。

音楽の円環構造

また、福岡さんはダイナミックな生命現象に対して、生物学者がDNAの塩基配列ばかりに注目して、それさえ解析すれば生命現象を全て理解したような気になってしまうことへの警笛も鳴らしています。

坂本龍一さんは生物学者がDNAを記述する行為を楽譜の記述に例えて、このように返答しています。

楽譜万能主義が間違いだということに気がついたのは、ある素晴らしい演奏家が、僕が作ったばかりの曲を目の前で弾いてくださったときでした。彼女の演奏によって、楽譜の中に小宇宙を作ったはずの僕自身が想定してたものとは違う、より素晴らしい音楽の宇宙が生まれたんです。(中略)それから数年経って、今度は「聴く人がいなければ、音楽は本当には成立しないのではないか」ということに気づいたんです

坂本龍一「音楽と生命」より

先ほどの川の流れの話に戻すと、自然界に溢れるノイズ(N)から誰かが音(S)を聴いて、音楽(M)にします。ただ、このMもまた、他の誰かに聴かれなければ音楽の円環構造が成立しないということです。

まとめ

坂本龍一さんの音楽感を踊りに代えて考えてみると、「楽譜」とは振付家のことで、「演奏家」はダンサー、「聴衆」は観客ということになります。

この円環構造を意識しないと、振付家はひとりよがりになり、ダンサーは自分の技術だけに注目し、観客がその体験を伝える、伝えられるというところまで意識が及ばないかもしれません。

振付家、ダンサー、観客、そしてその観客の中から新たな踊りが産まれると考えると、表現と生命現象には非常に近しい関係を見ることができます。観客が振付家や評論家、ダンサーである必要はありません。生命における死は、種のくびきをぬけて、他の若い生命体に受け継がれるのですから。


福岡伸一さんのことをご存知ない方には、著書「生物と無生物のあいだ」という文庫本と、スタジオジブリで講演された際の音源が入門編としてオススメです。近代科学が作り上げた生命感にメスを入れる、とてもスリリングな内容です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol152.mp3

 


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