しかし、それだけではない

ライムライトの仕事部屋
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最初に書いておきますが、今日は少し小難しい話を書きます。なんなら僕の中でもはっきりとした結論が出ていない内容です。

その内容とは、スタジオジブリの新作映画「君たちはどう生きるか」の感想です。

まだご覧になっていない方も、こちらの記事を読んでネタバレすることは一切ないのでご安心ください。

リアリズムとロマン主義

これまでバレエの歴史編などの過去記事で、ロマン主義の紹介をしてきました。
ロマン主義の特徴は「ここではないどこか」異世界への憧れと恋愛関係です。ご本人がどう思われるか分かりませんが「君たちはどう生きるか」の監督、宮崎駿さんは地に足のついたロマン主義の作家だと思います。

しかし、宮崎監督の特徴は恋愛の対象が他人の女性ではありません。これまで彼の作品にずっと登場し続ける女性のモデルは、実の母親です。
ここで「恋愛」という言葉を使ってしまうと語弊が生じそうなので、ここからは「恋」を取ってシンプルに「愛」の対象と表現します。「となりのトトロ」のサツキとメイのお母さんも、「崖の上のポニョ」に出てくるグランマンマーレや車椅子のトキさんも、「風立ちぬ」のヒロイン菜穂子も、みんなお母さんの影を引きずっています。

それがよりダイレクトな形で表現されたのが、今作「君たちはどう生きるか」だと思います。

一方、宮崎駿監督の盟友にして先輩の高畑勲監督は徹底したリアリズム(現実主義)の人です。戦後のリアリズムは戦時中の知識層が現実逃避のようなロマン主義に傾倒して世間に同調していた、あるいは無関心を装っていたことに対する「怒り」がベースになっています。

それゆえ、高畑勲監督の作品は「アルプスの少女ハイジ」「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」に至るまで徹底して市井の人々の生活を描き、実写ではなくアニメーションという手法で、徹底したリアリティ(真実)を追求しました。

その高畑監督の晩年の作品が、無駄な情報を一切省き、作り手の筆圧そのものが動き出すような「かぐや姫の物語」に至ったことは、リアリズムとロマン主義の邂逅を考える上で非常に示唆に富んでいます。

そんな二人の巨匠が共に尊敬し、影響を受けた人物が戦後文学界の知の巨人、加藤周一氏です。

「しかし、それだけではない」-加藤周一 幽霊と語る-

そんな加藤周一氏の晩年を取材したドキュメンタリーがジブリから発売されています。

加藤周一 ドキュメンタリー映画「しかし それだけではない。加藤周一 幽霊と語る」公式サイト
加藤周一の言葉に示唆を与えられてきたすべての人だけでなく、加藤周一という人物をこれから知ろうとする人にとっても、最良の出発点となる貴重な映像作品。

ジブリの作品は全部見た!という人でも意外とこの作品を観ていない人は多いんじゃないかな?

加藤周一さんは徹底したリアリズムの人でした。元は東京帝国大学医学部附属医院(現在の東京大学医学部附属病院)のお医者さんで、本人は肺に疾患があったため徴兵を免れますが、多くの学友が戦場で死に、敗戦直後に原爆調査団として広島に赴き、その惨状を目の当たりにします。

そして戦後の近代文学のメルクマールとなる著書「1946・文学的考察」で戦中のロマン主義の知識層を徹底的に批判します。「人が戦地で血を流して死んでいるのに、詩集や哲学に耽って現実を見つめていない」という怒りがリアリズムの原点にあります。

終戦時、加藤周一は26歳、高畑勲は7歳、宮崎駿は4歳。高畑勲はより直接的に加藤周一氏の影響を受け、宮崎駿は加藤周一のリアリズムを高畑勲からアニメーションのフォーマットで受け継ぐことで、ファンタジーを扱いながらも常に現実社会を照射するような作品を産み出してきました。

「しかし、それだけではない」を観て驚かされるのは、あの徹底した現実主義を歩んできた加藤周一氏の晩年の対話相手が、幽霊だったことです。

現実を正しく把握するためには歴史に学ばなければなりません。しかし、歴史はあくまで勝者が描いた時代の一側面であって、負の側面は闇に葬られてしまいます。そんな時、一番信頼できるのはやはり自分自身の体験です。しかしその自分の記憶も、時の流れと共に失われていきますし、人々の考え方も時代とともに変わっていきます。

ですが死んで行った友人たちは死んだ時のまま、変わりません。自身も含め、移り行く世の中において灯台の灯火のように変わらないのは、故人との対話だったのです。

宮崎駿監督が前作「風立ちぬ」から「君たちはどう生きるか」を製作するまでに10年の時間が流れました。その間に、盟友の高畑勲監督が亡くなり、色彩設計で「風の谷のナウシカ」の時から宮崎監督をサポートしてくれた保田道世さんも亡くなりました。劇中、死んで行った仲間たちを想起させるシーンがいくつもあり、胸が締め付けられました。

ロマン主義の対象が恋愛であれば、それはどこか現実離れして、浮き足立ったものになるかもしれません。しかしその対象がこの世に生きて実際に関係を結び、そして死んで行った人たちであれば、そのストーリーは地に足のついたものになり、冥界において、ロマン主義とリアリズムは邂逅を果たすのだと思います。

まとめ

8月初旬に映画を観たばかりで、僕の中でも完全に整理できていないこの作品への感想をここに書いたのは、ロマン主義はクラシック・バレエと切っても切れない関係だからです。

クラシック・バレエが古典として賞味期限が長いのは、時代を超越したテーマを扱っているからと言える側面もあります。しかし、熟達論の記事で紹介した通り、「型」はあくまで暫定的な真実であり、常に検証にさらされるべきで、これは単に技術論に留まる話ではないと思います。

何もバレエでリアリティのある作品をどんどん作るべきだと言っているのではありません。宮崎駿監督の作品のように、ファンタジックな世界観をベースにしながらも地に足のついた新しいロマン主義を模索することはできないでしょうか?

死者との対話をフィルムに刻んで作品にした宮崎監督。その対話を目撃してしまった僕たち一人一人が、「君たちはどう生きるか」を問われています。

 


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