音と音楽、自然と踊り -1-

ライムライトの仕事部屋
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今回は、僕が大好きなお二人の対談本の中から、祖父の芸術感につながるお話があったので紹介させていただきます。

紹介する著書は、今年の3月に亡くなられた音楽家の坂本龍一さんと、生物学者の福岡伸一さんの対談本「音楽と生命」です。福岡伸一さんは、生命を生命たらしめているものを動的平衡(どうてきへいこう)と呼んで、生命はたゆたう川のように変化し続ける流れの中にある、よどみのようなものだと定義されています。

なんかいきなりムズかしそう。

大丈夫!今日紹介する内容とはあまり関係がありません。

最晩年の坂本龍一がたどり着いた音楽の境地

今回の対談本は初版が2023年3月29日で、なんと坂本龍一さんが亡くなられた翌日に出版(!)された、彼の最晩年の思考がうかがえる本です。この本の中で、最新アルバム作成での思いを以下のように語られています。

『async』を作るとき、まずは自分の聴きたい音だけを集めるということで、雨の音のような自然な音をコンタクトマイクで録音したり、楽器以前の「もの」を擦ったり叩いたりして、いろいろな音を収集しました。そうやって集めた音、いわばS(サウンド)やN(ノイズ)を聴いているうちに、M、つまりミュージックが足りないということに気づいたんです。そこで、集めてきた音にミュージックの要素を盛り込んで出来上がったのが『async』で、(中略)ライブで再現できるようなアルバムではないんですよね。

坂本龍一「音楽と生命」より

最晩年の坂本龍一さんのお話は音楽が市場で複製し共有されることで、同一化されてされてしまう前の一回限りのものとして慈しみたいという思いが感じられます。それは一回限りの人生を「生きる」ということにつながる行為です。

ダルクローズ、イサドラダンカンへの批判

祖父にとってはダルクローズやイサドラダンカンは自分の先生たちが習得してきた、いわば一世代上のものです。著書の中で祖父の芸術感について、このような記述があります。

長年築かれたクラシック技巧を捨て、無技巧で立ち向かったモダンダンサー達は肉体(または意識)から出る表現感情を只手先だけの動きで第三者に解らせるものではない。ダンカンは自然に返れと言ったが、自然そのものは芸術では無い。芸術は自然の中に感じた美を新たにダンサーの力で創り上げてこそ生まれる。

執行正俊「華麗なる輪舞」

N(ノイズ)の中からS(サウンド)を取り出すだけでは音楽たり得ず、ここに作り手の意図があってはじめて音楽たり得るという坂本龍一さんの主張と、祖父の主張は重なるところがあるように思えます。

まとめ

このあたりが、ノイエタンツを学んで帰国した祖父が、執行バレエスクールを設立後、クラシックダンサーの育成を始めたことと繋がりがあるように思えます。

さて、次回はもう少し内容を掘り下げて、動的平衡の中で語られる生命感と音楽や踊りなどの表現行為に共通することについて紹介していきます。

 


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