ライスワークとライフワーク

ライムライトの仕事部屋
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最近、「ライスワーク」と「ライフワーク」という二つの言葉がビジネス系や自己啓発系の人々の間でよく使われているのをご存知でしょうか?

「ライスワーク」は文字通り、ご飯にありつくためにお金を稼ぐ仕事、「ライフワーク」はお金と関係なく、夢や自分のやりたいことを追い続ける仕事を意味します。

「ライスワークのほかに、ライフワークを見つけて人生にやりがいを見出しましょう。」みたいな文脈で使われるのですが、僕はこの言葉に対して違和感を持っています。

今日はこの二つの言葉に対する僕の意見をご紹介します。

なんでも分けて考える社会

現代社会は「細分化」によって発展してきました。僕が子供の頃には物質の一番小さい単位は原子だと教わりましたが、今は電子や陽子など、それよりも小さい物質が発見されています。

仕事も分業化が進み、最近は人の仕事の一部をロボットが代替する業種も誕生してきています。世界ではアメリカで起きたブラック・ライヴズ・マター*やコロナのワクチン接種をめぐる対立など、分断された社会の問題も取り立たされています。

*アフリカ系アメリカ人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える、国際的な積極行動主義の運動の総称。

身体も細胞内部の構造からDNAまで研究され、骨格は各関節ごとに名称がつけられ、骨格の内側にある臓器にも細部に渡り名前がつけられ、それぞれの機能や役割の研究が進められています。

例えば、下半身を動かす場合、腰や膝、足首だけを意識しがちですが、実際には各部位の間にも身体があります。しかし、運動の際にはほとんど意識されません。言葉によって部位を分けていくと、どうしても重要な部位以外が抜け落ちます。当たり前ですが、身体は繋がっているので全体のバランスを俯瞰しないと本当に「見た」ことにはなりません。

どんなにマッサージしても腰が痛かった人が、枕を変えただけで治ったみたいな話はよく聞くよね。

また、人間の認知能力は、意識した情報以外を排除するように設計されています。その機能がなければ、電車の中で目の前の友人の話し声を聞き分けられないし、新聞も読みたいと思った箇所に意識が集中できなければ、あっという間に文字情報の渦に巻き込まれて混乱してしまいます。

つまり、僕たちが見ている世界は意識によって切り取られた世界で、世界全体を見ているわけではないのです。僕はこの細分化による発展に限界がきているのではないか、もっと言うと細分化するだけでは人は幸せに生きられないのではないかと感じています。

見ているつもり、わかったつもり

話を「ライスワーク」と「ライフワーク」に戻すと、ライスワークの仕事はお金を稼ぐためのもので「楽しい」ものではないというのが前提だし、ライフワークは夢の実現のために働くのだからやり甲斐があって「楽しい」ものだ、という前提に立っています。

僕の場合だと、映像制作の仕事が「ライスワーク」で、このブログや音声配信が「ライフワーク」になると言えるかもしれませんが、個人的にはそこに線引きをしていません。

先月の「ラヤの夢」クラウドファンディングなどはその典型で、ブログと映像の仕事を分けて考えていたら、「撮影した映像をブログで配信して収益を得る」という行為は成立しません。

もしかしたら会社で働く人にとっては働く時間とプライベートの時間は明確に分けられるので、「ライスワーク」と「ライフワーク」のような言葉はしっくりくるかもしれませんが、僕のような自営業者や多くのフリーランスのダンサーは「公私」の区別がつきにくい生活をしています。

会社が「部長」や「課長」などの役割を与えてくれるのに対して、フリーの映像作家が「監督」を名乗るのは自称の世界。ブロガーもYouTuberも勝手に名乗っているだけ。たぶんダンサーも同じ。プロとアマチュアの違いは、その仕事で人から報酬をもらっているかどうかだけ。

「タイパ」の弊害

たまに「公私の境目がない仕事ってしんどくないですか?」と聞かれることがありますが、僕からすると人生の大半の時間を「公=仕事」にだけ費やして、余った時間で「私」を楽しむような考えの方がしんどそうです。

同じように最近よく聞く「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉にも違和感があります。「移動時間に勉強しないで寝てるだけなんてタイパが悪い」みたいな使われ方をしていますが、それは結局「社会(あるいは仕事)」が主語で、「人」が社会に対して「効率的に動けているかどうか」と言う考え方です。人が主語ではありません。

人生で何をするべきかなんて、誰も頼んでいませんよね?全部自分の選択です。進学する学校も、仕事も、結婚するパートナーも、結局は全部自分の選択です。そういう意味では人生すべてが時間制限ありの巨大なゲームみたいなものなので、時間をどう使うかなんて、人の勝手だと思います。

誤解してほしくないのは隙間時間に勉強する人を否定しているわけじゃないということ。実際、僕も自分の社会的価値を高めるために資格をいくつか持っている。重要なのはそれが自分で決めた選択だってことで、人に対して「タイパ」がどうのと言う話ではないと言うこと。

まとめ

言葉で「公」と「私」を分けてみても、結局は同じ自分ですから、あまりそこを分けて考えるよりも、自分の人生全体を俯瞰して考えた方が良いと思います。

その中で、守りたい人ができたり、共に成長したい仲間ができて仕事の効率を上げる必要があるのであれば、そこは人生の時間を割いて取り掛かる価値のあるものだと思います。


最後にお知らせをさせてください。先週の9月1日から「ラヤの夢」映像配信がはじまっています。

配信映像は9月25日の深夜0時まで購入できます。配信は10月1日いっぱいまでご覧になれます。

どんな作品なのか見てないと判断できない方もいらっしゃると思いますので、冒頭シーンを無料で公開しています。ご興味をお持ちの方は是非、ご覧ください。

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