バレエの歴史 16世紀フランス編 -1-

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北方ルネサンス

15世紀末、イタリアを侵略したフランス軍は、イタリア都市貴族の豊かな暮らしぶりとルネサンスの優れた芸術・文化にビックリします。

16世紀のなかばまで続いたイタリア戦争を契機にルネサンスはイタリアから北方地域へと広がり、イタリア都市貴族の宮廷舞踊「バッロ」もフランスへと伝わります。

イギリスでシェイクスピアが活躍していたのもこの時代だよ。

オシャレなイタリア人にびっくりするフランスの兵士

まずは16世紀のヨーロッパの状況をご紹介しましょう。

ハプスブルク朝スペイン・オーストリア VS ヴァロワ朝フランス

15世紀末、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、16世紀には大航海時代が訪れます。スペインは新大陸のインカ帝国を滅ぼして大量の銀を持ち帰り「太陽の沈まない国」と呼ばれるほどの繁栄をみせます。

これまでイタリアを中心に東方貿易で栄えていた地中海の経済圏は大西洋沿岸地域へ移動します。

ハプスブルク家はスペインやオーストリア、イタリアのナポリまで勢力圏を広げ、政略結婚で神聖ローマ帝国の皇帝を出して、ヨーロッパの西と東に大きな影響力を広げます。

地図の赤いところがハプスブルグ家直轄のエリアで、黄色いエリアがハプスブルク家出身の

神聖ローマ皇帝が治めたエリア。フランスは間に挟まれているね。

一方、フランス・ヴァロワ朝は15世紀にイギリスとの百年戦争に勝利して、フランス本土からイギリスの占領地を一掃します。そしてハプスブルク家に対抗するためにフランス軍がイタリアに進軍したことがきっかけで、半世紀にわたるイタリア戦争に突入していきます。

カトリック vs プロテスタントの宗教対立

この時代、カトリック教会が信徒に向けて発売していた免罪符(贖宥状)。これを購入すれば罪が許されるというお手軽チケットです。これにブチ切れたのが、ドイツの宗教改革者マルティン・ルターです。

ルター
ルター

免罪符買えば罪が許されるなんて、聖書のどこにも書いてないでしょ!!

そしてルターに感化された神学者のカルヴァンはスイスで予定説を唱えました。

カルヴァン
カルヴァン

天国に行けるかどうかは最初から神様が決めているんだから、

善行していれば救われるなんて嘘っぱちです!

カトリック教会の免罪符を発行していたのは教皇庁。「教会の言うことを聞くことは善い行いです。」と言っていたのも教皇庁なので、二人の主張は教皇に対して「抗議するもの」(プロテストタント)と呼ばれて免罪符が買えなかった貧しい農民や、ローマ教皇に不満を持っていた各国国王や領主たちに支持されて宗教戦争が起こります。

当時の教皇は国王よりも強い権力を持っていたのですが、宗教戦争の結果、その権威は失墜してヨーロッパは国王が一番エラい、主権国家体制に移行していきます。

先程の地図のしま模様のところは、宗教戦争によって17世紀までに独立した国々だよ。

フランソワ1世によるフランス・ルネサンス

フランソワ一世(在位1515年-1547年)

第一次イタリア戦争をおこしたシャルル8世のあとを継いだルイ12世が、グリエルモの「舞踊芸術実践論」を持ち帰ったことは前回紹介しました。

そのルイ12世をあとを継いだのがヴァロワ朝で一番有名な国王フランソワ1世です。ハプスブルク家との間に第3次イタリア戦争をおこして敗れ、一時はスペイン軍の捕虜になったこともありましたが、内政では王権を強化し、商工業を保護し、イタリアから多くの芸術家を招いて、フランス・ルネサンスの立役者になります。

なかでもレオナルド・ダ・ヴィンチを寵愛し、ダ・ヴィンチは国王の腕の中で息を引き取ったと言われるくらいです。

「モナ・リザ」がイタリアではなくフランスのルーブル美術館にあるのも

この人が買い取ったから。

このフランソワ一世の息子、のちの国王アンリ二世と結婚したのがイタリアからのバレエ輸入の立役者、カトリーヌ・ド・メディシスです。

まとめ

はい、今回はここまでです。

今回は時代背景の説明だけで終わってしまいましたが、次回からいよいよフランスでバレエがどのように発展したのかをご紹介します。

 


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