新カテゴリーを執筆していて思うこと

ライムライトの仕事部屋
この記事は約3分で読めます。

いよいよ、来週の月曜からブログの新カテゴリーが始まります。

新カテゴリーではバレエ教室の創設者である祖父の歴史を追いかけて、ドイツ留学時代をひとつの区切りとして、80%くらい書きました。記事数にすると6〜7記事分くらいになります。

定期的な更新を続けるために、本業の仕事をしながら

記事を書きためておくストック系ブロガー。

なるべく伝わりやすい文章にするために、読む人のことをイメージしながら書いているのですが、こちらの「舞台裏の奮闘記」と新しいカテゴリーで、僕がイメージする読み手が違うんです。

違う仕事をしている自分

こちらの「舞台裏の奮闘記」は僕と同年代くらいの、親が高齢になってきて、そろそろ代替わりのことを考えなくてはいけない世代に向かって書いています。もっと具体的に言うと、映像やバレエ関係の仕事をしていない、だけど似たような状況の「異世界の自分」にむけて書いています。

ひょっとしたら親の学習塾を継ぐ自分かもしれないし、酒蔵を継ぐ予定の自分かもしれないし、映像作家だけど会社で社会経験を積んだことのないフリーランスひとすじの自分かもしれません。

高校生の自分

そして新カテゴリーのブログは「高校生の自分」に対して書いています。

ただ、リアルな高校時代の僕は、踊りにも勉強にも興味がなかったので、そもそもこのブログに目を通すことはありません。ここで想定するのは「バレエを続けていた高校生の自分」と言う、やはり異世界の僕です。

過去の記事にも書きましたが、僕は小学校4年生の時に2歳年下の男の子と一緒に父親からバレエを教わっていました。だけどけっきょく興味を持てずに1年足らずでやめてしまいました。

そして祖父が他界したのは僕が中学1年生の時です。もし僕が高校生になってもバレエを続けていたら、亡くなった祖父のことにもっと興味が湧いていたと思うんです。

それはバレエのレッスンを何回受けても教わることができない、もっと自分の表現の根本に関わる問題ですから。

自分に向かって書き続けることの意味

もし読者を完全な他人に設定してしまうと、このブログを書く行為はサービスになってしまいます。 サービスであれば、お客さんの得になることを優先して書かなくてはいけなくなります。

お役立ち情報があふれるネット社会で、損得ばかり気にして書いているといつか行きづまっちゃう気がするんです。

異世界の僕が喜ぶのって、あとで見返した時に、「ああ、この時こんなこと考えていたんだ。」とか「じいちゃんって、こんな思いで踊っていたんだ。」ですよね。損得じゃないんです。

作品を一人でも多くの人に届けるには

だからと言って、僕はサービスを否定している訳ではありません。

異世界の自分は僕自身であると同時に、他人です。

それぞれの世界でそれぞれの生き方があるわけですから、この記事がどうやったら彼らの心に届くかも考えています。

ターゲットを異世界の自分にするのは、そのほうが彼らの人生が想像しやすいからです。

コンテンポラリーダンスや現代劇を観に行くと、あまりに事前情報が足りず、理解できないことがあります。作り手にしてみれば、わざわざ説明することで作品の解釈の余地をせばめたくないという思いがあるのは理解できるのですが、ある程度の歩み寄りがないと、かえって共感が得られなくなってしまうのではないかと思います。

それを観客のリテラシーの低さと割り切ってしまうのは簡単ですが、単に観客に届ける努力を怠っているだけの場合もあるのではないでしょうか?

まとめ

今日言いたかったことはただ一つ。

「ブログ作成も作品づくりもおなじ」

これまで、たくさんの頼まれ仕事をして来ました。ひとに頼まれた物を、期待以上のモノにして返すのは嫌いではないし、むしろ得意な方かもしれません。だけどこのブログは、だれに頼まれるでもなく、勝手に僕がはじめたものです。

これまでの人生で感じてきたこと、これからの未来に向けてやるべきこと、そして過去から現在までのつながりを見直すことが、新しい仕事をはじめる僕に今、必要な作業なのです。

 


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