先週の日曜日、久しぶりに劇場に足を運びました。アクラム・カーンの《ジャングル・ブック》です。アクラム・カーンの名前は以前から知っていましたが、生の舞台を観るのは今回がはじめて。




インド生まれのイギリス人作家ラドヤード・キプリング原作の「ジャングル・ブック」。子供の頃に絵本で読んだり、ディズニー映画でご覧になった方もいるのではないでしょうか?また、手塚治虫の漫画「ジャングル大帝」はこの「ジャングル・ブック」からインスピレーションを得たと言われます。
さて、新進気鋭の振付家アクラム・カーンが紡ぐ《ジャングル・ブック》はどのような舞台だったのか。
さっそくご紹介しようと思います。
アクラム・カーン
まず、アクラム・カーンという振付家について簡単にご紹介します。1974年生まれのバングラデシュ系イギリス人の振付家・ダンサーで、ロンドンで生まれ育ちながら、幼少期からインドの古典舞踊カタックを学んでいます。その後、西洋のコンテンポラリーダンスも習得して、この二つの舞踊言語を自在に操るようになりました。
2012年ロンドンオリンピック開会式でパフォーマンスを行なったので、彼のことを知らなくても、カーンのパフォーマンスを目にしたことがあるかもしれません。
バレエファン向けの情報としては、2016年にロイヤル・バレエ団のために振付けた《ジゼル》で、古典バレエの名作を現代的に再解釈し、大きな話題となりました。
その後も《DESH》や《Chotto Desh》など、自身のアイデンティティと向き合いながら、移民としての体験や文化の衝突を題材にした作品を次々と発表しています。
また、映像を巧みに使った演出が多い点も映像畑の僕にとっては見逃せないところです。

By Laurent Ziegler – http://mediacentre.kallaway.co.uk/pics/akram-khan/hires/AK-Reflect-H_6405-by-Laurent-Ziegler.jpg, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=110465450
キプリング原作「ジャングル・ブック」
カーン版の話をする前に、まずは原作の「ジャングル・ブック」について説明させてください。なんとなく知っているつもりでも、意外と原作を読んだことがない人は多いのではないでしょうか?

かく言う僕も子供の頃にディズニー映画の「ジャングル・ブック」を観たきりで、あまり内容を覚えておらず、舞台を観に行った後にあわてて図書館で借りて読んだ。
キプリングが1894年に発表したこの物語は、インドのジャングルで狼に育てられた少年モーグリが主人公です。モーグリは赤ちゃんの頃に人間の村から迷子になり、狼の母親バギーラに育てられます。
ジャングルには個性豊かな動物たちが登場します。熊のバルーはモーグリにジャングルの掟を教える師匠的存在、黒豹のバギーラは知恵者で保護者のような役割です。そして恐ろしい虎のシア・カーンは、人間を憎む悪役として描かれています。
複数のエピソードで構成される物語の中で印象的なのが、猿の軍団バンダー・ログによるモーグリ誘拐事件です。彼らは古い遺跡に住んでいて、モーグリを連れ去ってしまいます。バルーとバギーラは、巨大な大蛇カーの助けを得て、モーグリを猿たちから奪還します。
最終的にモーグリは成長し、ジャングルから人間の世界に戻っていくという、少年の成長譚の側面も持った作品です。
アクラム・カーン版《ジャングル・ブック》
さて、今回観たカーン版《ジャングル・ブック》は、この原作を現代的な視点で大胆に再解釈しています。
まず驚いたのが、主人公が少年から少女に変更されていることです。環境破壊により水位が上昇し、海に投げ出された少女がたどり着いたのが、動物たちの暮らすかつては人間の街だった廃墟という設定になっています。
シア・カーンは登場しません。代わりに印象的だったのが、バンダー・ログ(猿たち)の描かれ方です。原作では単なるいたずら好きの存在だった彼らが、人間の動物実験に使われていたという設定で登場します。そして人間が生み出した最強の力をモーグリから教わり、今度は猿が人間に取って代わることを画策しているという、なかなか重いテーマが込められていました。
この設定は、2011年にリブートしたルパート・ワイアット版「猿の惑星:創世記」を思い起こさせます。この映画の中では動物実験を受けた猿たちが知能を獲得し、人間に反旗を翻します。
「風の谷のナウシカ」との共通点
もう一つ興味深かったのが、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」との類似点です。
先ほど述べたように、カーン版のモーグリは、少年から少女へと変更されています。また、原作のように赤ちゃんの頃から狼に育てられたのではなく、思春期に動物たちと出会います。そのため、母から教わった人間側からの自然や動物との関わり方も覚えています。
これは、人間と自然の橋渡し役となるナウシカの立ち位置とよく似ています。人間がもたらした災いが世界を破滅させたという設定も同じですし、押し寄せる水の存在はナウシカにおける腐海、あるいはオームのような役割を果たしていると感じました。

動物に育てられたという設定は、どちらかというと「もののけ姫」だけど、もののけ姫の主人公はアシタカなので、ちょっと違う。
理にかなった舞台美術と映像
今回の公演で一つ印象に残ったのは舞台美術のアプローチでした。
大掛かりなセットは一切使わず、代わりに廃材や再利用可能な素材で作られたシンプルな装置のみが使われています。そこに2台のプロジェクターを使って、舞台の背面と前面に映し出される線画のようなアニメーションが、この簡素な空間を豊かな空間へと変貌させていきます。
この手法は、作品のテーマである自然と人間の関係を描く上で、エコロジカルにもエコノミカルにも理にかなっています。大掛かりな美術セットを運んで海外ツアーを回るのではなく、簡素なセットで環境への配慮を実践として示しながら、かつ表現の妥協はなく、作品のテーマが持つ必然として理にかなった舞台セットになっていることが見事でした。

あと、これだけ世界的に有名な振付家の作品なのにS席が6,500円と、破格と言える安さだったのもビックリした。
まとめ
最後に、今回の公演で最も印象に残ったのは、カーンが持つ二つの踊りの力強さでした。
西洋のコンテンポラリーダンスの自由で表現豊かな動きと、インド古典舞踊カタックの厳格で精神性に満ちた所作。この二つが対立するのではなく、互いに補完し合いながら、唯一無二の表現を生み出していたように思えます。
僕は踊りについては素人ですが、踊りを一つの言語として捉えると、留学していた頃のことを思い出します。不思議なもので、日本人と話す時は日本語の思考パターン、アメリカ人と話す時は英語の思考パターンと、無意識に切り替えていました。それぞれの言語にはそれぞれの特性があり、コミュニケーションのとり方にも向き不向きがあります。
一つの言語を極めることも大切ですが、その言語を話す人以外にその言語の素晴らしさを伝えるには、別の言語体系が必要になってきます。
それはまさに、モーグリが動物には動物の言葉で、人間には人間の言語で会話をして、自然と人間の橋渡しをしたように。
最後までお読みいただき、有難うございます!
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