皆さん、知っていますか?世界最古の人類の化石はアウストラロピテクス(猿人)じゃないんですよ。
最近の教科書では、今から約700万年前の「サヘラントロプス」の化石が最古とされています。
僕が小学校で習ったアウストラロピテクスよりも200万年も前に遡っちゃいました。
そして2025年に入って、まだ一度もアップしていない「幕開けの足跡」シリーズですが、じつは年末の大掃除で、出てきてしまったのです。
1971年が最古の資料だと思われていた資料より、さらに昔の資料が。

開設から90年を迎える執行バレエスクールが毎年行ってきた発表会の挨拶文を紹介することで、世界の歴史と町のバレエ教室を接続する「幕開けの足跡」シリーズ。
1971年のプログラムよりさらに遡り、1960年代の活動状況が分かりました。
そんなわけで、今日はいったいどんな資料を発見して、これから「幕開けの足跡」シリーズでどのように紹介しいくのかを話す、予告編のような内容になります。
1960年代の祖父
今回発見した資料は、以下の3つです。
- 1967年のプログラム
- 1969年のプログラム
- 1975年の文化庁助成公演

1975年の文化庁助成公演については「幕開けの足跡 -1976-」で執行正俊オリジナル作品の《遥なる旅路》がどんな作品か分からないまま紹介したんだけど、今回、プログラムが見つかったことで、その内容が明らかになった。
当たり前ですが、僕が生まれた頃にはすでにおじいさんだった祖父は、1967年の公演の挨拶文で、「来年、舞踊生活は40年を迎える」と、書いています。
1908年生まれの祖父は1968年に60歳を迎えます。1970年代の祖父の挨拶文は現役を退いた感がそこはかとなく感じられたのですが、1960年代の祖父の文章は現役振付家として最後の熱量のようなものが感じられます。
また、発見された資料には「執行バレエスクール」ではなく「M.Shigyo Ballet Troup」つまり、「執行正俊バレエ団」と記載されており、バレエ教室ではなく、1960年代はバレエ団として精力的に活動していたことが分かりました。
プログラムの内容を見ると、これまで点と点で存在していた歴史的出来事や人物が、祖父の活動とどう結びついているのか、線となって分かりました。
参考までに1967年のプログラムに登場する人物を少しだけ紹介します。
- 高田 せい子
- 江口 博
- 粕谷 辰雄
いずれも日本の舞踊史上、重要な人物ばかりです。
僕のブログはバレエに詳しくない人にも楽しんでもらいたいので、この人たちがどんな人たちで、祖父とどのような関わりがあるのかを分かりやすく解説していきたいと思っています。

そんなことをしていると、情報量が多すぎて1記事におさまりきらなくなっちゃう。
というわけで、次回の「幕開けの足跡」シリーズは、入手した資料の中で一番古い1967年のプログラムを、何回か分けてお届けしようと思います。
まとめ
正直、僕の日本バレエの知識は付け焼き刃もいいところで、数冊の本と両親から聞いた浅い知見しかありません。
なので、記事の内容は配信前に父に確認するつもりですが、父よりもさらに上の世代の話になるので、どこまで分かるかわかりません。
それでも、1950年代の後半から60年代にかけての舞踊界は、クラシックバレエ、モダンバレエ、暗黒舞踊が分化していった時代のようで、現在の日本の舞踊界を知る上で、重要な手掛かりになります。
記事作成にはしばらくお時間をいただきますが、バレエの知識がない人でも楽しめる内容にしていきますので、ご期待ください。
最後までお読みいただき、有難うございます!
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