幕開けの足跡 -1975-

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毎年開催されている執行バレエスクールの発表会の挨拶文を紹介する「幕開けの足跡」シリーズ。

今日は1975年の挨拶文を紹介します。

1973年にプログラムのデザインが一新され、3度目のプログラム紹介になるこの年、ある変化に気が付いた人は僕のブログマニアか執行バレエスクールマニアです。

いるのか?そんなヤツ。

1975年のおもな出来事

プログラムの変化はこのあと紹介するとして、まずは1975年がどんな時代だったかを知るために、この年に起きたおもな出来事を振り返ってみます。

  • ベトナム戦争の終結: サイゴン陥落によりベトナム戦争が終結。ベトナムは社会主義国として統一。
  • フランコ総統の死去:スペインのフランシスコ・フランコが死去。民主化への道を歩み始める。
  • 第1回先進国首脳会議(サミット)開催: 国際協調の新たな枠組みとなる会議がフランスで初開催。
  • エリザベス女王の初来日: イギリスのエリザベス女王が国賓として初訪問。
  • 昭和天皇、皇后両陛下のアメリカ訪問: 天皇、皇后両陛下が初のアメリカ訪問を果たす。
  • 新幹線の山陽延伸: 山陽新幹線が博多駅まで延伸開業。国内の交通インフラが大きく発展。
  • ピナ・バウシュ《春の祭典》を初演ピナ・バウシュヴッパタール舞踊団が《春の祭典》を初演。

1975年は世界経済が停滞する中、日本でも「スタグフレーション」の影響が見られ景気は低迷していた。一方で、山陽新幹線の全線開通やエリザベス女王の来日など、明るいニュースも多くあった。踊りの分野では、ピナ・バウシュがヴッパタール舞踊団と共に代表作《春の祭典》を初演し、モダンダンスに新たな表現をもたらした時期で、翌年には日本でも初上演されている。

1975年8月3日(日)東京厚生年金会館第ホール

それでは、1975年の発表会プログラムの挨拶文を掲載します。

「ウイリの森と呪文の庭」

ライン側の畔り遥かに古城を望む所にウイリの森というのがある。学生の頃私は観光バスに乗って夜半そこに行った。森に囲まれた芝生が月光に煙り今にもウイリが出てきそう、城の鐘が夜半を告げそれを合図に四方から照明が城を浮き上がらせ、ジゼル2幕目の音楽が鳴り、続いてハイネの詩「娘は結婚を前にして死なば、ウイリとなり夜半墓から出て、旅人を誘い踊り狂う」という伝説が朗読される。これは私の45年前の想い出である。ジゼル上演を期に書いて見た。亦今年はラベル生誕百年でもあるので「こどもと呪文」をとり上げた。オペラバレエとある様に本来は歌手と踊手が同格で出演するが、バレエ単独で子供向きにアレンジした。ただオペラ独特の詠唱の部分をバレエとして生かす事に苦心した。さてこのバレエは1週間前に同じく私の演出で大分で上演された。大分といえば昨年秋に県主催の芸術祭に民話によるバレエの演出・振付で上演、芸術祭賞を頂いた。そして今年12月1,2日文化庁助成公演に協会主催で私の作品を上演、こちらからも何人か出演の予定、その時はどうぞ御後援の程を乞う。

ー執行正俊

まず、発表会のプログラムを見て僕が気がついたのは、発表会の開催時期がこれまで6月だったのが8月に移ったこと、そしてこれまでは厚生年金会館の小ホールを使っての発表会が大ホールに移ったことです。

今も執行バレエスクールの発表会は7月の終わりから8月の頭にかけて開催されるのが定例となっている。大ホールの上演は夏休みに開催した方が、お子さんも親御さんも参加しやすい。

さて、この年の発表会の演目は子供たちの小品集、大人クラスのバレエ・コンサートの他に、1971年の発表会でも上演された《こどもと呪文》、今年(2024年)の発表会でも再演された執行伸宜振付作品《青き光の中から》、そして《ジゼル》全2幕でした。

《ジゼル》(1975)栗原佐代子と執行伸宜

《青き光の中から》の音楽は当時はJ.S.バッハの管弦楽組曲を使っていたようですが、現在はステファン・グラッペリによるジャズバージョンになり、タイトルも《蒼き光の中で》となっています。若者たちの学生生活を卒業まで追った作品です。

ウィリの森は実在した?

もう一つ、この年の挨拶文で気になったのは、祖父がジゼル2幕の舞台となる「ウィリの森」に訪れたというエピソードです。

ロマンティック・バレエの代表作《ジゼル》は僕の音声配信でも扱っていますし、有名な作品なので、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この物語はフィクション、創作物です。

試しに、ライン川沿いに「ウィリの森」と呼ばれる観光名所があるのか、もしくは過去にあったのかを英語、フランス語、ドイツ語で検索してみたのですが、残念ながら見つけることはできませんでした。

今となっては90年以上昔の話なので真偽のほどは分かりませんが、さすがに祖父の作り話だったとは考えづらいので、ライン河沿いのどこかの村や町で、《ジゼル》を題材にしたアトラクションが行われていたのかもしれません。

ウィリに関連する話はドイツの詩人、ハインリヒ・ハイネ*による『ドイツ・ロマン派全集』の中で東〜中央ヨーロッパに伝わる民話として登場するので、「ウチの村が伝承の元祖じゃ。」と喧伝する村があったのかもしれません。

*ドイツの詩人・作家・批評家。ロマン主義の先駆者で、鋭い風刺や感傷的な詩で知られる。代表作は『歌の本』。

いずれにせよ、ヨーロッパは二度の大戦の舞台となり、観光地域の再編や、中には消失してしまった村や町もあるので、本当のところは分からずじまいでした。

ハインリヒ・ハイネ(1797-1856)
XKH149505 Portrait of Heinrich Heine (1797-1856) 1831 (oil on paper on canvas) by Oppenheim, Moritz Daniel (1800-82); 43×34 cm; Hamburger Kunsthalle, Hamburg, Germany; German, out of copyright

まとめ

挨拶文のタイトル「ウイリの森と呪文の庭」は、なんだかハリー・ポッターの映画のタイトルに出てきそうですね。

ベトナム戦争が終結したこの年は世界的には不景気の真っ只中でしたが、発表会を大ホールで行うようになり、演目も充実しているところから、教室自体は順調に成長を遂げていたように感じられます。また、息子(つまり僕の父)の執行伸宜による振付作品も発表会で上演されるようになり、出演している父と同世代のダンサーたちの存在感が徐々に増してきたように感じます。

次回の幕開けの足跡は1976年を紹介します。この年に僕は生まれました(発表会の時点ではお腹の中)。

さて、どんな挨拶文になっているのでしょう。

 


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