幕開けの足跡 -1971-

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じつは夏休みをいただいていた期間、とても素敵な出会いがありました。

むかし執行バレエスクールで8歳の頃からレッスンを受け、助教師まで務められた方が僕のブログを読んで連絡をしてくださり、実際にお会いして祖父母の頃のレッスン風景や、母が嫁いできたあとの変化など、僕が生まれる前のことを色々と伺うことができました。

母が嫁いでから保管していたプログラムのうち、最古のものは1973年のもので、夏休み明けに1973年のブログを公開しようと準備を進めていたのですが、なんとその方がさらに昔の発表会プログラムを大切に保管して下さっていて、1971年と1972年のプログラムを提供いただくことができました。

というわけで今回は前回ご紹介した1973年からさらに2年遡った、1971年のプログラムをご紹介します。

1971年のおもな出来事

まずは1971年がどんな時代だったかを知るために、この年に起きたおもな出来事を振り返ってみます。

  • ニクソン・ショック: ドルと金の交換を停止。金本位制から変動為替相場制への移行が始まる
  • 中国が国連に加盟: ニクソン大統領の訪中準備が進み、中国の国連加盟が実現
  • バングラデシュ独立戦争: 東パキスタンからバングラデシュが独立
  • グリーンピース設立: 環境保護団体グリーンピースがカナダで設立
  • 沖縄返還協定の批准: 1972年に沖縄がアメリカから日本に返還されることが決定
  • ケネス・マクマミラン振付《アナスタシア》:ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで初演
  • アルビン・エイリー振付《Cry:黒人女性の苦難と喜びを描くソロ作品を発表

1971年は冷戦下のアメリカを中心に世界情勢にさまざまな変化のあった年。中国が国連加盟を果たして米中関係が変化する一方、沖縄の日本への返還が決定。経済面では、ニクソン・ショックによりドルが世界通貨としての地位を確立した。またアメリカの核実験を契機に、環境問題への関心も高まっていた。ダンスも革命やフェミニズム、差別をモチーフをした作品が発表されていた。

1971年6月19日(土)杉並公会堂

それでは、1971年の発表会プログラムの挨拶文を掲載します。

「私が今後しなければならぬ事」

この頃舞踊界もようやく文化庁や都の助成金も得られるようになったし、オペラ、バレエの為の第二国立劇場もできるというし、だいぶバレエへの理解も深まって来た。我々の協会も社団法人化に乗り出し亦外国と対等のユニオン化も急いでいる。この上は今なお舞踊を体育科に演劇を国語科におかれている学校教育を改正してバレエを正課として教えられる様にする事が必要である。外国はどこでも日本程個人経営のバレエ団は多くない。そのかわり各国で十数ヵ所の国立や市立のオペラ劇場付随のバレエ団があるからだ。そして舞踊家の生活は国で保証されている。何故私がこの様な事を一発表会のプロに書くかといえば、今日の会に来て下さった父兄のお知合いの方々にも少しでも私の芸術文化への情熱を知って頂きたいからである。亦今度上演の「子供と呪文」の解説にある様に、こうした芸術文化を国民に植えつける基礎となる、青少年の情操にも今後共努力したいと思っている。

ー執行正俊

挨拶文にある「オペラ、バレエの為の第二国立劇場」は1997年に開場する新国立劇場のことだと思う。この挨拶文からじっさいに開場するまで26年と、ずいぶん時間がかかったね。

1971年の祖父の挨拶文から、日本の舞踊界が徐々に社会的認知を得始めていること、そのために祖父をはじめとした多くの先人が努力していたことが伺えます。過去記事でも紹介しましたが、第二次大戦後に日本のバレエは急速に発展をはじめ、個人経営のバレエ団が次々と生まれて一度は東京バレエ団としてまとまりかけますが、内紛で解散。以降は個々に発展してきました。

さらに「我々の協会」とは1972年に社団法人化された現代舞踊協会のことだと思われます。日本の舞踊界は完全にバラバラに進展してきたのではなく、個々のバレエ団や教室が協会(ユニオン)を通して緩やかに連携しています。

このあたりのことは先々ブログで整理していくつもりです。

この年の発表会の演目は「白鳥の湖」の第2幕とラヴェルのオペラバレエ「子供と呪文」です。

《子供と呪文》

この年の発表会で上演された《子供と呪文》について、恥ずかしながら僕は全く知りませんでした。

調べたところ、フランスの作家シドニー=ガブリエル・コレット(一般には「コレット夫人」として知られる)が台本を手がけたオペラ作品です。モーリス・ラヴェルが作曲し、1925年に初演されました。

あらすじは以下の通りです。

いたずら好きな子供が怒りから物を壊したり動物をいじめたりするが、壊した家具や動物たちが突然命を持ち、彼に反乱を起こすという物語です。子供は恐怖に駆られて改心し、最後には許しを得る。

僕がこのあらすじを読んですぐに思い出したのが映画「トイ・ストーリー」の1作目です。もしかしたら、「トイ・ストーリー」のベースには《子供と呪文》があるのかもしれません。

YouTubeで《子供と呪文》のオペラ作品を見る事ができたので、こちらも参考までに貼っておきます。

まとめ

この当時、祖父は子供の情操教育の一環としてバレエを学校教育の正課にすることを本気で考えていたようです。

果たして、2012年に学校教育の正課となったのはヒップホップを含むストリートダンスでした。

しかし、その結果は過去記事でも紹介した通り、生徒が型にはまらず、自由な表現を目指すにはまだまだ課題が山積しています。

今、僕たちにできることは何か、1971年のプログラム挨拶文はそんなことを考えさせてくれます。

 


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