先日、映画『国宝』を鑑賞した演劇関係の知人がSNSにこんな投稿をしていました。
「映画館で隣の人がポップコーンを食べる音が気になって、映画に集中できなかった。どうして映画館は飲食を禁止しないのだろう?」
たしかに、『国宝』のように、内容にじっくりと向き合いたい作品であれば、周囲の咀嚼音は集中を削ぐ要因になり得ます。その気持ちはとてもよく分かるのですが、同時に僕は「映画館と劇場では事情がまったく違う」ということを考えさせられました。

たぶん、『鬼滅の刃』や『ジュラシック・ワールド』のような映画ではこのようなクレームはあまり出てこないよね。このあたりの違いがどこからきているのかも、少し考えてみよう。
映画館の収益構造と飲食文化
映画館は基本的に「上映回数を重ねて収益を上げる」モデルです。チケット代の多くは配給会社との分配に回るため、映画館の取り分は決して大きくはありません。その一方で、売店で提供される飲食物──いわゆる「コンセッション」は高い利益率を誇ります。その歴史は意外と古く、1930年代のアメリカで大恐慌の影響で映画館の売上が落ちる中、収益を補うために飲食物販売を本格化させました。ポップコーンやドリンクは、映画館の存続に欠かせない柱になっているのです。
さらに、映画には幕間がなく、一度上映が始まると途切れることがありません。そのため、観客が映画を観ながら食べるという文化が自然に定着していきました。むしろ「映画館でポップコーンを食べる」という行為そのものが、体験の一部とされるようになったのです。

1927年の『ジャズ・シンガー』を皮切りにトーキー映画が登場し、映画に音声がはじめてついた。フレッド・アステアやジンジャー・ロジャースによるセリフ・音楽・効果音を駆使したミュージカル映画が黄金期を迎え、この時代の人々は厳しい現実を逃れ、スクリーンに「夢」を求めて映画館を訪れた。
演劇やバレエの収益構造と静粛文化
これに対して、演劇やバレエは仕組みが異なります。公演を主催する側が劇場に施設使用料を支払って興行を行うため、劇場の収益はある程度確定しています。チケット販売による収益は主催者が得るものであり、劇場側にとっては収益源ではありません。そのため、映画館のように飲食によって収益を大きく補う必要性は相対的に小さいのです。
そして何より、舞台芸術は生身の演者と観客が同じ空間を共有するものです。演者の息づかいや足音までもが表現の一部であり、その細部に耳を澄ますからこそ舞台の醍醐味があります。そうした緊張感の中では、観客の側にも「静かに観る」ことが自然と求められます。こうして、演劇やバレエには静粛文化が深く根づいていきました。
幕間に食べる文化:幕内弁当とヨーロッパのシャンパン
では、生身の人間が演じる舞台芸術に食文化がないのかと言えばそうでもありません。
奇しくも、映画『国宝』の舞台となっている日本の歌舞伎では、幕間に食事を楽しむ習慣が古くから定着してきました。芝居茶屋が料理を運び入れる仕組みがあり、観劇と食事は切っても切れない関係にあります。その結果として生まれたのが「幕の内弁当」です。冷めてもおいしく食べられるように工夫された小ぶりなおかずの詰め合わせは、まさに観劇文化から生まれた日本独自の食文化と言えるでしょう。
一方、ヨーロッパのオペラやバレエでは、幕間にロビーで軽食や飲み物を楽しむ文化があります。僕自身、オーストリアの国立劇場でオペラを観たとき、幕間にワインや軽食を提供するコーナーを目にしました。観客は立ち話をしながらグラスを傾け、作品について語り合ったり、久しぶりの知人と再会したりしていました。そこでは食事そのものよりも、社交の時間が大切にされていたのです。
つまり、日本とヨーロッパの違いを整理するとこうなります。
- 日本:幕間=食事の時間(幕内弁当の文化)
- ヨーロッパ:幕間=社交の時間(シャンパンや軽食)
どちらも「上演中の静けさを守り、飲食は休憩に回す」という点では共通していますが、そのかたちが異なるのはとても興味深いです。
作り手と劇場の間に生まれる齟齬
ここで改めて映画館の話に戻ると、作品によっては、映画館が飲食を許可することで観客の集中が妨げられるという事態は少なくありません。
しかし、劇場側が「これは芸術性が高いから飲食禁止にしよう」と線引きをするのは難しく、逆に映画の作り手がリクエストすることも、劇場の収益を毀損することにつながるのでできません。
また、芸術と娯楽は必ずしも分けられるものではなく、同じ作品に両方の性質が備わっていて、それを客観的に分けることはできません。そのため、映画館にとって現実的な解決策は、観客が選べるように「サイレント回」を設けたり、シネコンであれば時間帯や上映枠によって空間を分けたりすることだろうと思います。
まとめ
映画館と演劇・バレエは「飲食の位置づけ」が異なります。映画館はコンセッションを収益の柱にしているため、映画館が提供するものに限り上映中に飲食を許可し、演劇やバレエは静粛文化を基盤としているため飲食は不可、もしくは幕間や上演後に回されます。
演劇やバレエでは、観客体験のデザインは劇場ではなく主催者が主に担うことになるので、主催者が上演前後や幕間の時間をどう設計するかが重要になると思います。
映画館は基本的に「知らない人同士が同じ暗闇を共有する」場所ですが、舞台芸術は出演者や観客同士のネットワーク性が強いです。
だからこそ、上演前後や幕間を社交の場として設計すること自体が付加価値になりやすく、満足度向上と新たな収益の両立へとつながっていくのではないでしょうか。
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